読書の小雪

芸術の秋、食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋。というように、秋は様々なことにチャレンジしやすい季節であると言われている。

チャレンジの季節。僕は何をしていたかというと、主にぼーっとしていた。

どのくらいぼーっとしていたかというと、資格試験の受験申込をし忘れてしまうくらいのぼーっと具合だった。

やることといえば、ぼーっとするか、寝るか、パソコンいじりか、粘土いじりか、ちんちんいじり。じっとしているかいじるかのどちらかを繰り返してきたが、全くと言っていいほど生産的で健やかな行動はとっていない。強いて言えば粘土いじりが生産的?と思ったが、ちんちんいじりとさして変わりはないのでまあ非生産的な行動だ。

 

時間を無駄にすることだけに時間を割いてきた僕だが、もしかしてこれってうんこ製造機じゃないかと気付き始めた。もしかしなくてもそうだし、気付くのが遅すぎるのだけれど。

惰性で起き、惰性でバイト、惰性で飯を食い、どうしても我慢の出来ない妥協と惰性の無い排泄、惰性でちんちんをいじり、そして惰性で寝る。紛れもないうんこしっこ製造機である。

 

これってあんまりよくないサイクルじゃない?今更ながらそう思った。

25年間、このサイクルの積み重ね!確信した。

 

「やりたいことが多すぎてなんにもやりたくなくなっちまった やりたくないことが多すぎてなんにもやりたくなくなくなっちまった」

こんなことをザ・ピーズが歌っていた。高校生の頃の自分は、この歌に痛く共感し胸が苦しくなっていた。

しかし、僕の読解力の無さっていうのがこのころからはっきりとしている。

だって、大木温之は、ピーズは、やりたくなくなくなってるから。紆余曲折がありながらも、やらなければならないことやるしかないこと、これしかないということをずっっと続けているから。

ピーズは一度活動休止している、でも結局”これしかない”に戻ってきた、情けなくもかっこいい大人たちだ。

こんな大人たちに感化されてきた僕に、このままでいいのかという焦りがつま先からのぼってくる。

 

何もしていない僕は、冷たい風が秋を追いやろうとしている11月の終わりに、目の前に積まれてある数ページしか読んでない本のタワー。その一番上を手に取りページをめくる。

それがせいいっぱいだった。